●質問
淋しくて、頻繁に不特定多数の人とセックスしています。マッチングアプリで相手を見つけることもあれば、バイト先のお客さんとエッチすることもあります。わたしの心から淋しさが抜けてくれればセックスに依存しなくて済むだろうと思っています。わたしはどうすればいいのでしょうか?(25歳・神奈川県)
●回答
淋しさって「別の人間になりたい」と思うところから生まれます。
たとえば、精神科医の香山リカさんの本に書いてあったと思うのですが、音楽の名門大学を卒業した何人もの人が、香山先生のカウンセリングを受けるそうです。「わたしは大学卒業後、プロのピアニストとして活躍するはずだったのに、地元でピアノの先生をするしかない。こんなわたしはわたしではない!」などと嘆くのだそうです。そういう人は、アル中になったり、セックス依存になったり、賭け事に走ったりするそうです。
プロのピアニストになれなかった人が、別の人間、つまり、プロのピアニストになりたいと思う――だから、淋しさがあふれ出すのです。
ほかにも、親とうまくいっていない人も、わりとセックス依存に陥っていますね。親というものは選べないですよね。物心ついたら「わたしの親はこれか」と思うのみで、そう思ったからといって、自分が理想とする親を選ぶことは不可能ですよね。
この「選べなさ」を「選べないものだ」と、イヤというほど認識しない限り、人は淋しさの呪縛から解放されない――キルケゴールという哲学者は、こう語ります。彼も毒親に苦しめられ、それゆえ世間に対する馴染めなさと葛藤し続けた人です。
さて、セックス依存はどうすれば卒業できるのか?
残念ながら、選べなさを選べないものとイヤというほど認識しないと卒業できないと思います。
ただ、認識する過程において、偶然にも、奇跡的にも、すばらしい出会いに恵まれることがあります。たとえば、ただのセックスの相手だと思っていた男性と何回も会ってセックスするうちに、心と心が通い合うようになり、淋しさが癒されてゆき、ある日「選べなさ」を選べないものだと認識できるようになった、すなわち、「わたしの人生はこれでいいのだ」と、直感的にば~っと見通せるようになった、ということは、わりとよく聞く話です。
それまでは、病気をもらわないように気をつけつつセックスするしかないのかもしれません。
冷たい言い方に聞こえるかもしれないけれど、自分の淋しさと格闘するというのは、ホント、人生を賭けた一大事業なのであって、お手軽なハウツーでどうにかなることではないのです。
お互いがんばって生きていきましょう!